準備段階

a)「皇室文書」問題の発覚


この「皇室文書」の存在は前から疑われていた。
というのは、天皇の側近達の作った行政文書の多くが宮内庁で公開されていない(閲覧者側が探し切れていないだけかもしれないが)ので、「何か隠しているのではないか」という疑いのまなざしで見られていたのである。

その「皇室文書」が実際のカテゴリーとして存在していることに私が気づいたのは、2010年の夏に、ある友人から情報提供があったためである。
それは「以前瀬畑が閲覧したとブログに書いてあった文書が宮内庁書陵部宮内公文書館の目録に無いのだが?」という指摘からだった。

この経緯については詳しくはブログに書いてあるが、改めて簡単に振り返ってみたい。

2009年8月に、書陵部の図書課公文書係(当時はまだ宮内公文書館ではなかった)で、侍従職の「業務日誌」昭和33年を閲覧した。
この日誌は、現天皇の妹である清宮貴子内親王が呉竹寮という皇居内の施設で暮らしていたときの側近が書いたものである。
内容的には、呉竹寮に来た人の記録や、職員の宿直者の記録といったものである。
正直、それほど重要な資料でも無かったので、簡単なメモだけ取って、記憶から忘れ去っていた。

ところが、2010年8月に友人が「その文書が目録に無い」と指摘してきたのである。
そこで、たまたま別の資料を閲覧に行った際に、宮内公文書館の職員にどういうことなのか説明を求めた。
すると、「その文書は、皇室の個人に関する文書であり、公文書に「紛れて」いたことがわかったので、「皇室文書」に移管して歴史公文書の目録から削除した。」と説明をしてきたのである。

私は当時ブログで以下のような問題を指摘した。

1.「公務員」である担当官が内親王の活動を記録していたもの(しかも「業務日誌」として)が、なぜ「公文書でない」のか。
2.「公文書」に「紛れていた」ということは、その記録が作られた1958年から52年もの間「公文書」扱いされていたことは「間違いだった」とでも言うのか。
3.「皇室文書」とは皇室が持っている個人的な文書であるが、それに「公文書ではない」と認定された公務員が作った文書が含まれているのか。
4.歴史公文書の目録から削除した行為自体は、どこにも公表されていない。
5.私が資料を閲覧した昨年8月末から1年以内に、この「移管」は行われている。


特に、公文書管理法が公布された2009年7月以降にこの措置が行われていることを私は問題に思った。
公文書管理法は、国立公文書館等に保管されている特定歴史公文書等(歴史資料)についても、資料の閲覧の権利を国民に与えるものである。
よって、公文書管理法の適用から逃れるために公文書の目録から文書を削除し、「皇室文書=皇室の私的な文書」として意図的に文書を隠蔽しようとしているのではないかという疑いを持った。

そこで、公文書管理法が施行されてから、この問題を公式の場で明らかにしようと考えるようになった。

b)情報公開請求


この問題に改めて取り組んだのは、拙著『公文書をつかう』を書き上げてからのことである。
まずは証拠の収集ということで、宮内庁に対して情報公開請求を行い、「侍従職「業務日誌」が文書目録から削除された経緯についてわかる文書」の開示を求めた。これが2011年7月28日のことである。

開示されたのは2ヵ月後の9月30日。
資料1 開示決定書(9月30日付)


資料2 2010年7月30日付の書陵部公文書係による「歴史的資料ファイルの登載削除について(伺い)」


資料3 2010年8月23日付の書陵部公文書係による「歴史的資料ファイル名の変更について(伺い)」



ここで明らかになったのは次の通り。

1.私が問題を認識した「業務日誌」だけでなく、合計130冊が目録から削除されていた。
2.行政文書上で「皇室文書」という言葉が使われていた。
3.私が「業務日誌」昭和20年、昭和21年が残っているのはなぜかと聞いた後に、この二つのファイルの名称が変更されていた(ブログでは以前に疑義を呈していた)。

これによって、目録削除が日常的に行われていた可能性があるという疑いを持った。
2010年8月に直接私が問題にしたときに、書陵部の職員が「何が問題なの?」みたいな態度を取っていたことも気になっていた。

そこで、正式に公文書管理委員会に不服審査を申し立てるために、宮内公文書館に対して「業務日誌」を請求することにした。

c)宮内公文書館への請求


公文書管理委員会に不服審査を申し立てるためには、宮内公文書館から何らかの「処分」が出される必要があった。
そこで、2011年11月9日、宮内公文書館に別の資料の閲覧に行った際に、「業務日誌」昭和33年の請求を行った。
その際にあらかじめ、これは目録に登載されていないこと、「不存在」決定を出された後に公文書管理委員会に不服申立を行うことを伝えておいた。

私としてはサックリと「不存在」で決定を出してもらえれば良かったのだが、宮内庁からは思いもかけない通知が来ることになった。
宮内庁から来た文書は「請求書の補正」を要求する文書だった(11月11日付)。
つまり、目録に載っている文書しか請求を受けつけないので、載っている文書名に請求書を直せという通知である。

もちろん載っていないのは承知なわけで、こちらとしては補正する気は無い。
電話をして確認をしたのだが、「載っていないと請求できません」という説明しかない。
よってこの補正を無視することにした。

結果として宮内庁から出た処分は、「利用不可」ではあるのだが「瀬畑の請求書の不備」が理由となっていたのである。
資料4「特定歴史公文書等利用不可決定通知書」2011年12月1日



つまり、宮内庁はこの文書の存在不存在の部分で争う気は無い、あくまでも「瀬畑の書類の書き方が悪い」という所で争う姿勢を見せたのである。
完全に争点を逸らしにきているが、法的にはある意味当然の解釈とも言えたので、なるほどなと感心した。
だがこういったものでも「処分」なので、これに対する不服申立は成立する。
よって、争う場所を公文書管理委員会に移して、そこで徹底的に追及しようと考えた。

そして不服申立へと進むことになる。